飯島愛さんが2008年12月に36歳で亡くなって早10年。
大好きだった飯島愛さんのクリスマスイブの訃報にショックを受けたことを昨日のことのように思い出す。。
しかも死因もはっきりしない、いろんなうわさが飛び交う中、鈴木紗理奈さんが飯島愛さんとのエピソードを語ってくれました。
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飯島愛さんの記事一覧
飯島愛と鈴木紗理奈の出逢い
鈴木紗理奈さんが飯島愛さんと出逢ったのは鈴木紗理奈さんが18歳のとき。
大阪から上京してきたばかりで、
「紳助のサルでもわかるニュース」(1994~97年 読売テレビ)
で共演したのがきっかけだったそう。
上京して初めてのクリスマスに1人でケーキを食べていることを告げると
飯島愛さんが自宅で開いていたパーティに呼んでくれたという。
そのことがきっかけでどんどん仲良くなっていたそうです。
鈴木紗理奈さん談
「それからは、すっごくかわいがってくれた。なんでも聞いてくれました。ホームシックになっていた私とよく遊んでくれたり、しょっちゅう朝まで話を聞いてもらった。話の内容? 恋愛話です。彼氏とけんかしたとか、こんなんされたとか言うと、愛さんは『わかった。今から襲撃しに行くか』って(笑)。もちろん襲撃なんてしませんけど、それだけで気が晴れました」
飯島愛さんが「プラトニックセックス」の自伝のヒットからしばらくかなり忙しい日々が続き、
鈴木紗理奈さんともあまりあっていなかった。
飯島愛さんが芸能界を引退することが決まった2007年ごろからまた頻繁に会うようになった。
ニューヨークに旅行に行ったりもしたそうだ。
飯島愛さんはユーチューバーを目指していた?!
「引退後はいろんなことをやりたいと言っていたけれど、『手始めは(今で言う)ユーチューバーになる』なんて言っていたこともあった。『きっとそういう時代になる。テレビに縛られているのはイヤだ』とも。当時、『レッツゴー!陰陽師』というダンス動画が流行っていて、そのビデオを録りたいからとお願いされて、どっかの廃墟に白装束を着て行って、ダンスしている動画を友達と録らされたこともありました(笑)。結局それはYouTubeには上げなかったですけど」
ってこれめちゃみたいですよね 笑
でも鈴木紗理奈さんの大事な思い出なのかな。
鈴木紗理奈さんからみた飯島愛さん
「愛さんは口が悪いけど、誰よりもやさしい。自分も愛さんのようなやさしい人でありたいなと思うようになりました。ほんまに人のために動く人で、相手のほしい言葉をあげる。自分のためじゃなくて、それが愛なんですよね」
「私も愛さんに助けてもらった一人ですが、いつもマイノリティの味方だった。理解者が少ない人や、人と同じように生きられない人をかわいがったり。一方で人の悪口を言ったり弱い者いじめをする人は、ほんまに許さなかったんですよ。私が『あの子って、こうだから』と悪口を言ったときも、怒られたことがある。『知らないでしょ? あの子も苦労してんだからさ』って。悪口を言う人や権力を振りかざす側の人には食ってかかっていき、正面で戦っていた印象。すごい人ですね。だからみんな、愛さんが大好きだったんだと思います」
「ほんまにおらへん人やと思う。あんな人、もう出てこないと思うから。メディアの人はこれから先もずっと、愛さんのことを伝えていってほしいです。やっぱり他の人とは違うんです。してきた苦労も違うと思う。泥水もすすってきたやろうし、遊んだ数も半端ないやろうし。ほんまに振り切って生きた人だから」
本当の飯島愛さん
鈴木紗理奈さんが語る飯島愛さんは本当の愛さんですよね。
死因なども謎が多いため、ミステリアスな部分がいろいろ噂を呼んでいますが、
本当の飯島愛さんは鈴木紗理奈さんが語ってくれたような、弱者にやさしくて、思いやりや人の気持ちがわかるステキな人だったのですね。
私も大好きでしたが、この話を聞いてもっとすきになりました。
なんで、こういうステキな人が早く亡くなってしまうのだろう。。
本当に惜しい、、飯島愛さんがやろうとしていた事業とか、どなたか引き継いでやってくれないかな。
愛ちゃんにもう一度会いたいよ〜!
飯島愛さんのご冥福をお祈り致します。