飯島愛さんが亡くなって10年、ご両親だけが知る本当の飯島愛さんを小中学校のころから芸能界引退まで語る。
コンクリート事件に関与しているとか、死因、引退の本当の理由、エイズ、askaさんとの関係とか、、なぞや不可解な部分が多い飯島愛さん。
とても頭のいい子だったという飯島愛さんの生い立ちやご両親の言葉から飯島愛さんの人間性や優しさが見えました。
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飯島愛さんの記事一覧
飯島愛プロフィール
芸名:飯島愛(いいじまあい)
本名:大久保松恵(おおくぼまつえ)
1972年10月31日生まれ
2008年12月17日没年
東京都出身
元セクシー女優、その後はタレント
元ワタナベエンターテインメント所属
飯島愛の幼少期〜小中学校
飯島愛さんは3人きょうだいの長女として東京都江東区で育った。
とにかく頭がいい子で、学校や塾ではその将来を期待されていたそうだ。
ところが、祖父が亡くなったことをきっかけに家出を繰り返すようになった、中学生のころだ。
お父さん談
「もう帰ってくるな!と叱ると、ほんとうに帰ってこない。でもね、根は悪い子ではないことがわかっていたので、それが救いでしたよ。どこの親もそうじゃないですか?どんなときも、どこかでは娘を信じているようなところがありました」
飯島愛さんの面倒見がよくて優しい性格が出ているエピソードをお父さんが語ってくれた。
小学校の運動会で小学物競争に出場したときのこと。
「トップを走っていたのに、最後のハシゴくぐりで後ろを振り返り、『早く早く』と手招きして、他の子たちを先にくぐらせた。結局自分はビリでゴール。そのときは、『競争なんだからだめだろう』と注意しましたが、今では私の自慢話になっています」
なんだかほっこりしますよね。
小学校のころから思いやりがあって、勝ち負けにこだわらないというか、
みんなを大事にしている飯島愛さんは小学生のころから健在だったのですね。
ご両親が語る本当の飯島愛
「実家に芸能界のお友達を連れてきたこともあったんですよ。でも、いくら私たちがお上がりくださいと言っても『絶対ダメ』と上がらせなかった。親に小さいときの話などをされるのが、いやだったのではないですか(笑)」
「あるタクシーの運転手さんは、『愛さんのおかげで今の自分は生きていられる。だから、どうしてもお線香をあげたい』と言ってね。娘に『遊んでないでちゃんと仕事しなよ』と怒られて、一念発起。タクシーの仕事に就いて、がんばっているそうなんです」(同)
「テレビで活躍していた頃、娘が私をニューヨークに連れて行ってくれたことがありましてね。ハドソン川のほとりで2人でお茶をしていたときに、娘に聞かれたんです。『お母さん、幸せでしょ?』って。『今はとても幸せ。でもここまで来るには、いろいろあったわね』と返事をしました」
「私たちにつらいところを見せたことはありませんが、本人もよほどがんばったから、あんなふうに芸能界でやっていけたのですよね」
「『私はスーパーのおばちゃんとかにモテるんだから』なんてことを話していたこともあります。男性と違って、顔やスタイルでごまかしが利かないのがおばちゃんたち。言いたいことをハッキリ言って、おばちゃんたちにモテるんだから、この人気は本物の人気よ、なんてね」
週刊朝日で連載していた飯島さんのコラム
「飯島愛の錦糸町風印税生活」
には実家がよくでてきていたそうです。
<<実家に帰ったら小さいとき家で食べていたおふくろの味が食べたいのに、それは出てこない。カレーが食べたいと言えば、豚バラのカレーがビーフになってる。すっぱくなりかけた麦茶がうちの定番だったのに、それが伊藤園のウーロン茶に変わっている>>
このコラムをまとめた書籍がこちら
『生病検査薬≒性病検査薬』
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飯島愛の引退理由
「自分のようにお化粧で化けている人間は、この先テレビが進化すると素顔がバレるから、やっていけなくなる。それより、事業をやりたい」
「どんな事業をやるの?と聞いても、『考えているところ』と言って、詳しいことは話さなかった。娘が亡くなってからですよね。ようやく娘が何をやろうとしていたのか、少しずつわかったのは」
その事業とは、コンドームやアダルトグッズのオンラインショップ。
将来的には病院やエステ、カウンセリングなども巻き込んで、性に悩む女の子たちに手を差し伸べる一大施設にしたいと考えていたようだ。
自身が悩んだときに相談するところがなかったことがきっかけなのではないかと思う。
飯島愛さんらしい、人のためになることを考えてくれていたのだなぁ。
事業が形になる前に亡くなってしまって、本当に残念でしょうがない。。
飯島愛の著書やDVD
飯島愛さんのご冥福を心よりお祈り致します。