飯島愛さんの直接の死因は肺炎だが、腎臓病の病気を患っていた。ストップエイズのイベントなどの活動をともにしており公私ともに仲が良かった「赤枝六本木診療所」の赤枝恒雄院長とは亡くなる直前にイベントを一緒に行っていた。
医師の目からみた死因や生前の飯島愛さんについて、また飯島愛さんが残した直筆のイラストや宇都宮の占い師のことなど。
コンクリート事件に関与しているとか、死因、引退の本当の理由、エイズ、askaさんとの関係とか、、なぞや不可解な部分が多いためいろいろ噂はされていますが、身近な人たちの言葉を通じて飯島愛さんの人柄が垣間見えます。
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飯島愛さんの記事一覧
飯島愛プロフィール
芸名:飯島愛(いいじまあい)
本名:大久保松恵(おおくぼまつえ)
1972年10月31日生まれ
2008年12月17日没年
東京都出身
元セクシー女優、その後はタレント
元ワタナベエンターテインメント所属
飯島愛と赤枝恒雄院長
飯島愛さんと「赤枝六本木診療所」の赤枝恒雄院長は
もともと芸能活動中に飯島愛さんの主治医だった方です。
赤枝恒雄院長は
六本木で性に関する無料相談などを行っていたそう。
公私ともに仲がよかったようですね。
飯島愛さんは体の調子が悪い時など度々赤枝院長を頼って訪れていたようです。
プライベートでもバーベキューを一緒にしたりと仲が良かったようですね。
赤枝院長からみた飯島愛さんは
「気配りのできる繊細な人」
「うちの町会の人たちもよくバーベキューに来ていましたが、みんな『屈託がなくて明るい、いい子』と、たちまち愛ちゃんのファンになってしまう。でも私の前では、明るいだけの愛ちゃんじゃなかった。ふと何かを考え込んでいるようなこともありましたね」
赤枝院長は飯島愛さんの写真や手紙、雑誌の切り抜きなどをスクラップブックにまとめている。
その中の1枚、飯島愛さんが残した直筆のイラスト。
「(台風が来て)たいへんじゃじゃじゃじゃーん」という文字の横に、指揮棒を振るベートーベンの似顔絵が描いてある。
引用:AERAdot
「ストップエイズなどのイベントに来てくれるようになったのは、私がエイズや性感染症予防のための無料検診をしていることを知って、愛ちゃんが手伝うと言ってくれたのが始まりです。六本木のハンバーガー店などでやっていた街角相談では、2人で机を並べて、女の子たちのいろんな悩みを聞いたこともありました」
実際、2018年12月6日に栃木県宇都宮市でおこなわれたストップエイズのトークショーに赤枝恒雄院長と参加していた。
2008年12月17日ごろに飯島愛さんは亡くなったとされているため、わずか10日ほど前の話だ。
2004年には、厚労省やエイズ予防財団などが12月1日の「世界エイズデー」の前におこなったトークイベントにも参加している。
十年くらい前に、ニューヨークにいる友達が、どんどん知り合いがエイズで死んじゃうって言ってたことを思い出した。日本も、そろそろ学校とかで、ギョウ虫検査みたいにエイズ検査をやらないといけないと思う
(著書『生病検査薬≒性病検査薬』(朝日新聞社)の「エイズ・デー」より)
ストップエイズのイベントや性感染症についてのイベントなどにも積極的に参加していた飯島愛さん。
2004年からの5年間、赤枝恒雄院長は若い世代を対象に、性感染症予防のためのリーダーを育てる勉強会も開いていた。
飯島さんは亡くなるまで講師として、その勉強会にもたびたび参加していたという。
「勉強会では、男の子が女の子を守らないということを、いつも言っていましたね。女の子はいつも思いやって、男にだまされちゃだめよ、と。一方男の子には、厳しいことも言っていましたよ。例えば……男はセックスするまでは気を遣って、おいしいもの食べて楽しいところに連れて行ってくれる。でもセックスしてしまうとあとはグーグー。『あれはよくないよ。楽しいところには、セックスしてから行けばいいじゃん』なんてね」
赤枝院長は今でも飯島愛さんと一緒に行ったイベントのポスターを貼っている。
週刊朝日で連載していた飯島さんのコラム
「飯島愛の錦糸町風印税生活」
をまとめた書籍がある。
『生病検査薬≒性病検査薬』
この書籍の付録として
「性病検査キット」
をつけたそうだ。
これは飯島愛さんの希望で、
パッケージから変装方法まで
赤枝院長と一緒に考えたという。
前の本『プラトニック・セックス』を買ってくれたのが女子高生だった。だから何か、印税のお返しができないかなと。
(「週刊朝日」2003年7月4日号「私が性病検査薬配ったわけ 対談・飯島愛VS.赤枝恒雄院長」)
理由は相談したり検査するのを躊躇してしまう若い女の子を守るためだったようだ。
でも、書籍の名前がストレート過ぎて
書店ではなかなか買う勇気がいると思われるのは私だけだろうか。
アマゾンに当時も売っていたらありかな 笑
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赤枝院長が語る飯島愛の死因について
飯島愛さんが亡くなってから死因が肺炎と発表されるまで
実に2ヶ月の時間を要した。
時間がかかったことや不可解なことが多かったことから
死因はエイズや自殺などいろいろ言われていた。
死因について赤枝医院長は、、
「どちらもありえない。テレビ番組の収録で、愛ちゃん自身が私の診療所でエイズ検査をおこなったこともあった。結果はテレビでも放映されたように、陰性でした」
「陽性だったらどうするの?と聞いたんです。テレビのカメラが入っているから、逃げも隠れもできないでしょ。そうしたら『いいよ、もしもエイズでも、私はエイズらしく生きるから』ときっぱり言っていた。かっこいいんですよ。性に悩める女の子たちに手を差し伸べるアダルトショップなどの事業開始も目前で、愛ちゃんはその新しい仕事が始まるのを、それはそれは楽しみにしていましたからね。自殺だってありえない」
亡くなる2~3カ月前から、飯島愛さんは持病の偏頭痛などが悪化していた。
赤枝院長の病院に数日間入院して、そこから仕事の打ち合わせなどに出かけることも増えていた。
亡くなったとされている12月17日の数日前にも、持病の悪化で赤枝院長の病院に入院。
「もう大丈夫よ~」
そう帰っていったのが、飯島愛さんと交わした最後の言葉になった。
やはり、亡くなる前から体の調子が悪かったのだろう。。
飯島愛と占い師
栃木県宇都宮市でおこなわれたストップエイズのトークショーに一緒に行ったときのこと、
「商店街でコンドームを配っていたときですよ。ふと道ばたに座っていた手相占いの女性に目を留めて、手相を見てもらいに行った。それから寒いなか、かなりの長い時間、その占い師と何かを話し込んでいたんです」
なにを話し込んでいたのはわからないけれど、
飯島愛さんはこれまでに占いでいろいろ言われてきた。
台湾の占い師には死を宣告されたり、、
なので、占いは特に気にしていたのかもしれない。。
飯島愛の引退理由
飯島愛さんがやろうと準備していた事業は
コンドームやアダルトグッズのオンラインショップ。
将来的には病院やエステ、カウンセリングなども巻き込んで、性に悩む女の子たちに手を差し伸べる一大施設にしたいと考えていたようだ。
自身が悩んだときに相談するところがなかったことがきっかけなのではないかと思う。
飯島愛さんらしい、人のためになることを考えてくれていたのだなぁ。
事業が形になる前に亡くなってしまって、本当に残念でしょうがない。。
「愛ちゃんが亡くなってからの10年間、日本での新規感染者及びエイズ患者は、毎年約1500人ずつ増えているのに、一方で検査をする人は減っているんです。12月1日の世界エイズデーの話題も、年々少なくなっていますよね。これからも愛ちゃんの思いを、今の若い人たちに伝えなければいけないですね」
赤枝院長と飯島愛さんの活動してきたこと、検査の大切さなどが広まることを願っています。
飯島愛の著書やDVD
飯島愛さんのご冥福を心よりお祈り致します。
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